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by yayoizaka
| 2013-10-15 11:28
| 01. プロローグ
上の写真には戦前に建設された東京市の鉄筋コンクリート造小学校の全てがプロットされている。 東京市の鉄筋コンクリート造小学校の歴史は大正11年に木造校舎に増築された鉄筋コンクリート校舎に始まり、昭和13年に終わりを告げる。 その間に大正12年に発生した関東大震災の復興事業として焼失した木造小学校117校を鉄筋コンクリート造で再建することを復興事業の中でも優先して行うべき急務と位置付け建設されたものを復興小学校と呼び、その数は焼失した数と同じ117校となる。 そして、震災復興事業が完了する昭和5年までに117校全てが完成する。 現在その復興小学校は不完全なものを含めて都内に19校が現存し、その内の10校が中央区に存在している。 その10校の内の3校で建て替え問題が起こり、その筆頭として現存する復興小学校の中で最も古い明石小学校に於いてこの8月にも解体が開始されようとしている。 上の写真には戦前に建設された函館市の鉄筋コンクリート造小学校の全てがプロットされている。 函館市の鉄筋コンクリート造小学校の歴史は市の不燃化政策の下で昭和2年に始まるが、昭和9年に発生した未曾有の大火により既に建設されていた2校が罹災し、それらの再建を含めた鉄筋コンクリート造小学校の建設が函館大火復興事業の中で優先して行なわれる。 そしてその数は5校にのぼり、その5校の完成を待ってその集大成とも言える弥生小学校が函館の誇る歴史地区に昭和13年に完成する。 奇しくもこの年は東京の鉄筋コンクリート造小学校の建設が終わりを迎えた年で、函館の弥生小学校はそれまでに全国で建設された鉄筋コンクリート造小学校の正に集大成と言っても決して過言ではない秀逸な建築だった。 筆者が弥生小学校が東京の復興小学校と比較しても抜きん出ていると思うのは、函館特有の坂のある敷地の高低さを巧みに利用した建築計画にあり、防災拠点としての公共建築のあり方や、小学校と地域社会及び環境との共生のあり方など、先駆的で見事と言う以外に言葉がない程周到に計画されていた。 だが、その弥生小学校も市民の保存活動を無視するかのように解体が進み、今や見る影もない状態にある。 #
by yayoizaka
| 2010-08-08 09:02
| 23.弥生小学校を考える
昨年12月、解体された弥生小学校の屋内体育場跡に立ち、今正に消えようとしている東坂側第二昇降口を眺めた。 そこには丸柱と曲線ハンチで繋がる梁が昇降口詳細図面に描かれた通りの姿を露にしていた。 生きたまま粉砕され引き千切られた鉄筋コンクリート造の構造体からは劣化などどこにも感じさせない、竣工当時のままの力を感じた。 それはまるで古い木を削った時に中から新しい木の香りが蘇ってくる、あの感覚に似ていた。 前稿で解体が始まった校舎を取り上げ、そのまま6ヶ月間休稿した。 このまま書き進むことが本来の趣旨から外れそうに思えたからだ。 拙稿を閉じる時が来たのかとも考えた。 解体の経過を取り上げそれを伝えることが拙稿の次に課せられた使命なのだろうかと自問自答もした。 小出しに発注される解体工事からその解体総費用と新築費用の総体を見詰め、そこに隠れている様々な矛盾の指摘を書き連ねることも考えた。 地元の人のブログに上がる記事や写真に心が痛んだ。 この建物の背景が分かれば分かるほど決して思いつきや過大評価ではなく、心からこの建物には重要文化財として後世に残す価値があり、そうできると確信もしていた。 その建物が惨たらしく壊されていく様に行き場のない怒りを覚えた。 さて、二十間坂の上に出現した「自由の女神像もどき」騒動の顛末を見て思った。 それは弥生小学校校舎解体問題と根っ子を同じくする函館西部地区の歴史的景観を巡る問題だったが、この問題に結論が出された。 函館市は自己の責任を又もや有耶無耶にし、当事者のマルキタ北村水産に対し「二十間坂の自由の女神像もどき」が市都市景観条例違反に当るとして撤去するよう是正指導を行った。 しかし、もっと質が悪いと感じたのは、景観審議会が全く函館の歴史的景観や歴史的建造物へのサステナブルな方向性を理解していないということが改めて露呈したことだった。 昨年12月の話に戻るが、解体された屋内体育場跡からスロープを下の校庭に降りると、その壁面は子供たちが描いた絵で埋め尽くされていた。 だが、そのスロープは無残に二つに寸断され、その間に解体車両が校庭に下りる為の仮設スロープが造られている写真を見た時は全身から血の気が引いた。 橋を望み、道路を望み、新幹線を望む、望み通りにそれらが出来て数年が立つと、便利さと引き換えに失ったものの多さに初めて気が付く。 このどうしようもない行政と企業と住民による悪循環を嫌と言うほど見てきた。 函館は新幹線の開業とともにもっと酷くなる。 景観を破壊するホテルの建設もこの「二十間坂の自由の女神像もどき」も、そのプロローグに過ぎないことを景観論議と共に考えるべきだろう。 #
by yayoizaka
| 2010-07-04 16:54
| 23.弥生小学校を考える
彌生小學校 函館冨岡町六拾壹番地 校舎、鉄筋コンクリート造参階建、一九一七.五坪 体操場、鉄骨鉄筋コンクリート造平屋建一部中貮階、三〇七.六坪 渡廊下、木造平屋建、二八.一坪 合計延坪数、貮阡貮百五拾三坪二合 建築様式、近世式 規模、普通教室三五室、特別教室六室、職員室其他一七室 地階は防空室ニ利用の豫定 鉄骨、九八噸 鉄筋、五七〇噸 セメント、四七,〇〇〇袋 使用延人員、ニ六,四〇〇人 総工事費、金四拾八萬七阡八百八拾壹圓也 着工、昭和一ニ年一ニ月一九日 完成、昭和一三年一ニ月ニ五日 竣工式、昭和一四年一〇月七日 私はどうして弥生小学校が完成から竣工式まで10ヶ月を要したのだろうと考えていた。 青柳と高盛小学校が昭和10年、的場と東川小学校が昭和11年、そして大森小学校が昭和12年、これらの学校では完成を待っていたかのように竣工式が行われたのに対し、これら5校の集大成として昭和13年に完成した弥生小学校だけ、その竣工式がまるで皇紀2600年に向けての序曲であるかように行なわれているところに強い興味を抱いている。 弥生小学校の竣工式が執り行われた昭和14年(1939)は皇紀2559年に当たり、皇紀2600年の祝賀へ向けて日本中が意気高揚していた重要な年であったことは間違いないだろう。 因みに皇紀2600年の年には幻に終わった東京オリンピックの開催が決まっていたし、その為に跳開橋の勝鬨橋が隅田川に完成し、零戦が産声を上げた年でもある。 一方、前年の皇紀2599年を見ると、大戦前の最新鋭豪華貨客船あるぜんちな丸の完成など華やかな雰囲気が感じられる。 弥生小学校もこんな時代背景の中で華々しくお披露目をされたものと思われる。 それは、函館市民だけに対してではなく、日本全国に対してのお披露目であったろうと思う。 総工費48万7881円、鉄骨98t、鉄筋570t、セメント47,000袋。 昭和12年に日中戦争に突入し既に物資統制が行なわれていた時代にありながら、この潤沢に注がれた弥生小学校とは一体どんな歴史的位置付で考えれば良いのだろうか。 現存する設計図面と建物の最終形を重ね見る時、また上記の地下を防空室に利用予定との特記を見る時、この建築は津軽要塞との関係をなくしては考えられないと断言して良いのではないだろいうか。 建築は不浄の手に掛かるのを避けて自刃することはできない。 誇り高きこの建築にとって、これ程の無念はないだろう。 重要文化財に必ず成り得る建築を破壊するという愚か極まりない行為は、必ずや函館史に刻まれなければならない史実である。 #
by yayoizaka
| 2010-01-07 19:39
| 22.弥生小学校再考
2009.12.13 体育館と東坂側第二昇降口 体育館は既に姿を消し、東坂側第二昇降口も消えた。 東坂第二昇降口図面に描かれたアーチ 在りし日の東坂第二昇降口とアーチ (写真提供/Ever Green) アーチの奥に屋内体操場が見える。 2009.12.12 東坂第二昇降口解体風景とアーチ 手工室、理科室も同時に姿を消した。 屋内体操場図面 在りし日の体育館 (屋内体操場) (写真提供/Ever Green) 2009.12.13 体育館の鉄骨柱 (屋内体操場) 2007.8.2 子どもたちのプールだった 2009.12.12 もう子どもたちの歓声を聞くことはない プールまで壊す必要がどこにあるのか。 #
by yayoizaka
| 2009-12-14 13:56
| 22.弥生小学校再考
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