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<Category19-040 / 2008.12.29> 多事争論という言葉は、筑紫哲也氏がご自身のTV番組の最後に、毎回90秒テーマを決めて話されていたことで知っていたが、反対意見や少数意見にも耳を傾けるという意味をおぼろに記憶していたくらいだった。 同氏の訃報を知った折り、この多事争論という言葉を改めて思い返し、同時にそれは第二回住民説明会での市関係者の言葉と重なり、このテーマで今年の最後を締めくくろうと決めていた。 多事争論は福澤諭吉の 「文明論之概略」 の中にある言葉である。 本文をそのまま引用すると、「単一の説を守れば、其説の性質は仮令ひ純精善良なるも、之に由て決して自由の気を生ず可らず。 自由の気風は唯多事争論の間に在て存するものと知る可し。」 、と書かれている。 これは秦の始皇帝の焚書 (ふんしょ) に触れ、諸子百家の異説争論を禁じた理由として専制を害するからとし、異説争論の間に生じるものは必ず自由の元素とした上で、それに続くのが上の文章である。 従って文脈からすると、たとえ正しく優れた教えや考えであっても、他の考え方を欠くただ一つの考え方だけしかないものの中には自由の気風が生まれることはなく、自由の気風は少数意見や反対意見を自由に議論することができる中にこそ存在する、という意味であると思う。 私の解釈だけでは心もとないが、「丸山眞男集」 の注釈を引用した天声人語によると、前半部分は 「ある社会に一つのものの考え方だけが流通しているような場合には自由の気風はない」 となり、後半部分は 「自由の気風は必ず反対意見が自由に発表され、少数意見の権利が保証されるところにのみ存在する」 となる。 何を言いたいかは既にお分かりと思うので、ここで件のことを改めてくだくだ論 (あげつら) うことはしないが、上の福澤翁の言葉は暴君の専制に触れて書かれている中にあることと、第二回住民説明会当日の恫喝と議論なき幕引きを重ね合わせる時、あの時の市教委の行為は、公人としても人間として最も恥ずべき卑しい方法による言論と自由の弾圧であると思う。 自由の気風は、反対意見を言うことのできる自由と少数意見の権利が保証されるところにのみ存在する、のである。 最後に筑紫哲也氏が残したメッセージで今年のブログを閉じたい。 「論」 も愉し 近ごろ 「論」 が浅くなっていると思いませんか。 その良し悪し、是非、正しいか違っているかを問う前に。 そうやってひとつの 「論」 の専制が起きる時、 失なわれるのは自由の気風。 そうならないために、もっと 「論」 を愉しみませんか。 二〇〇八年夏 筑紫哲也 「論の専制が起きる時、失なわれるのは自由の気風」、新しい年がこんな年でないことを願って......yayoizaka [付 記] ■ 写真データ提供 / ezzoforte ■ 筑紫哲也氏のメッセージ / WEB多事争論
by yayoizaka
| 2008-12-29 07:47
| 19. 四方雑話
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