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<2008.4.13追加> (いしかわ たくぼく)1886年~1912年 明治40年5月5日、函館に到着する。函館商業会議所の臨時雇となる。苜蓿社(ぼくしゅくしゃ)の仲間となり同人雑誌「紅苜蓿(べにまごやし)」の編集をする。経済的にも援助を受けることになる宮崎郁雨(本名・大四郎)と知り合う。6月、弥生尋常小学校代用教員となる。翌月、青柳町18番地に新居を構え、妻子を迎える。8月、函館日日新聞社遊軍記者となり、ようやく函館の生活に馴染むが、8月25日、大火のため学校も新聞社も焼け、再び生活の危機に立つ。9月13日、札幌に向かう。北門新報社に入社するが、わずか2週間にして小博日報社の創業に参加、記者となる。12月、社の内紛に関して事務長と争い退社。 明治41年1月、釧路新聞社に勤務することになり、単身赴任。芸者小奴を知り交情を深めるが、社の上司に対する不満と東京での創作活動へのあこがれから上京を決意し、4月5日釧路を去り、函館を経て上京する。函館に残された妻節子は宝尋常高等小学校の代用教員となる。 「はこだて人物誌」より
by yayoizaka
| 2008-03-30 00:17
| 13. ゆかりの人々
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