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<2008.4.13追加> (前略)啄木と函館のつながりは、函館の文芸結社苜蓿社(ぼくしゅくしゃ)が、40年1月に同人雑誌「紅苜蓿(べにまごやし)」を創刊するにあたり、啄木に原稿を依頼したのがきっかけだ。 当時、渋民尋常高等小学校の代用教員を勤めていた啄木は明治38年5月、既に詩集「あこがれ」を出版し、天才詩人と喧伝されていた。苜蓿社同人の松岡蕗堂が「明星」に投稿していたことから、「誌上の仲間」として原稿を依頼し、啄木は長詩「公孫樹」など三篇の作品を送った。 当時の函館は、戸数約2万戸、人口は8万8千人を数える東京以北最大の都市であり、医療や教育をはじめ都市機能も概成していた。それだけに、啄木は函館での生活に相当の期待感を抱いていたに違いない。 しかし、突然決定した函館であり、住居は、松岡蕗堂の下宿先への居候であった。就職先は、まず同人沢田天峰の世話で、5月11日から末日までは商業会議所の臨時雇いとなり、日給60銭を得て、会議所議員選挙有権者台帳の作成に従事した。 6月11日からは、東川小学校に勤める吉野白村の世話で、弥生尋常小学校の代用教員としての職を得た。啄木にとっては、渋民以来2度目の教員生活である。月給は12円で、渋民時代より4円アップとなった。(後略) 北海道新聞 啄木の風景より
by yayoizaka
| 2008-03-28 17:03
| 17. 参考資料
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