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<2008.4.13追加> 「わかれ来て年を重ねて 年ごとに恋しくなれる 君にしあるかな」-函館区立弥生尋常小学校の代用教員を務めていた啄木が、同僚の橘智恵子(1889-1922年)を詠んだ一首である。妻節子をはじめ、啄木をめぐる女性たちは啄木にとって「忘れがたき人々」であり、その作品に少なからず影響を与えた。 (中略) 智恵子は札幌でリンゴ農家を営む家に生まれ、北海道庁立札幌高等女学校を卒業後、1年補習科に学んで初等教育の資格を取った。 明治39(1906)年4月、弥生小学校訓導として赴任。啄木と智恵子と話したのはたったの2度といわれるが、歌集「一握の砂」(明治43年12月・東雲堂刊)の「忘れがたき人々 二」に智恵子を詠んだ歌22首が収められている。 「長き文 三年のうちに三度来ぬ 我の書きしは四度にかあらむ」(「一握の砂」より)。恋心を寄せていたのは啄木だけとも考えられていたが、智恵子も牧場主の北村謹と結婚(明治43年5月10日)する前、啄木にあてて長い文を何度か送っている。 (後略) 盛岡タイムズ(2006年9月5日(火))より 石川啄木記念館 <yayoizakaより> この建物はこんなロマンの舞台でもある。 発想を転換してみる想像力と、ほんの少し前に戻る勇気さえあれば、この建物を生かし使い続ける道も見えてくると思う。
by yayoizaka
| 2008-03-28 17:20
| 17. 参考資料
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