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<Category19-026 / 2008.5.22> 下の段から上の段、そして函館山へ。 体育室は木々に埋もれ、ここが閉じた中庭とは思えない。 何度も繰り返しになるがこの建物は東西をそれぞれ東坂と弥生坂に、そして南北を東西に走る平坦な道路によって挟まれている。 前回の説明に間違いがあったので、ここで訂正を兼ねて改めて説明させていただくが、北側道路にはこの校舎の地下1階が面しており、玄関、校庭通路、そして富岡町昇降口(旧名)が設けられている。この校庭通路はスロープで1階の校庭につながっており、東坂と弥生坂側は2階部分にそれぞれ昇降口が設けられている。したがって南北の道路の高低差は概ね3階以上というこになる。 前回の説明で私が校庭のレベルを間違え今回改めて調べ直したことで、ますますこの建物の設計者である小南武一という人物に惚れ直した思いがしている。今回は建物についての解説ではないので簡単に済ませるが、校庭を私が間違えた北側道路のレベルではなく、1階レベルに置いた理由に、再び発生するかもしれない火災に対し、非難して来た住民を火焔から守る目的があったと私は確信した。現在は閉鎖されている校庭通路がスロープによって校庭につながる建築的設えがそれを物語っているし、この考えはそのまま下の段から上の段につながるスロープへと踏襲されている。 それは東坂や弥生坂から逃れて来た住民を、今度は逆に上の段から下の段に降ろして、校庭に避難させることができることを意味している。これらが地形的特性を逆手に取り、そして卓越した手腕によって、機能、安全、避難、それらすべてを明快に解決した空間処理がそこにあると書く所以である。 長くなるがもう一つ、弥生坂側の途中には西に伸びる平坦な道がこの坂に突き当たっているが、まさにその道が突き当たる位置に弥生坂昇降口が設けられているのである。 これらが偶然と言えるだろうか。 このような、災害時に対する子供たちや周辺住民への並々ならぬ配慮は、そのままこの学校と住民、そして周辺環境との距離の近さを表していると私は思う。 東坂側の学級菜園は住民の目を楽しませ、弥生坂側の住民たちが丹精込めた花壇は子供たちの目を楽しませる。 この学校の長い歴史の中で育まれ、今では当たり前のように繰り返されるこれら一つ一つが、この建物と環境が共生している証だと私は思う。 <東坂側の学級菜園> 雪で分かりにくいが、干からびたヘチマがのどかだ。 <一番高い南側道路からの眺め> 体育室の向こうに上の段の木々、その向こうに北側道路に面した校舎、そしてそのまた向こうに海が見える。 このゴライアスクレーンもこの風景から消えて行くのか。 <北側道路に面した外観> 自然との調和、美しいと思いませんか? 今は当たり前のように存在している一つ一つのものも、それらを作り守ってきた歴史があってのことだということを、古い写真を見ながら振り返って欲しい。 (写真2枚-所蔵/函館市中央図書館) この写真は1882年(明治15)の公立弥生学校である。1879年(明治12)の大火復興事業として建設されたもので、周辺環境を見ると建物だけでなく道路も坂もすべてにわたって新たな造成が行われている様子が伺える。 この写真は1908年(明治41)に公立弥生高等小学校に改名された当時である。 (写真2枚-出典/絵葉書の世界) 上の公立弥生高等小学校(右手前)を逆側から見たものと思われる。 大正15年に完成した函館水上警察署(旧西警察署)が写っていないので、撮影時期はそれ以前と思われるが、周辺環境は1934年(昭和9)の大火前の往時の姿を偲ぶことができる。 2枚目の写真左端に公立弥生高等小学校の屋根が見え、その直ぐ右に中華会館、そしてその右に函館病院が続いている。(「絵葉書の世界」内の説明による) 下の3枚は弥生坂からそれぞれの季節に撮ったものだ。 校舎と体育室をつなぐ渡り廊下によって、弥生坂と中庭は断ち切られることなく連続している。 これこそ環境と共生して今に生きる建築の姿と言えるのではないだろうか。 生き続けようとする力あるものを決して葬り去ってはならないと思う。 <次回の建物逍遥(Ⅴ)は、生活との同化(題は仮名)を掲載予定>
by yayoizaka
| 2008-05-22 04:45
| 19. 四方雑話
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