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<Category19-033 / 2008.6.6> 大正12年(1923年)に発生した関東大震災後の復興事業として、復興小学校というものがある。 東京で117校、横浜で31校の小学校が、震災後の復興事業として再建された。 当時の東京市の場合は、臨時建築局の局長に東大教授の佐野利器を迎え、佐野の意見に従って被災した小学校すべてを鉄筋コンクリート造で復興することが行われた。 建設校数が多くしかも速やかに復興する必要があったために、設計はすべて東京市で行なわれたが、設計・建設に際し、設計規格が作成されたことが特徴である。 そして、当時の特殊部隊ともいえる東京市臨時建築局学校建設課の手により、この設計規格に則り設計は行なわれたが、デザインや細部の意匠においては設計者の自由な表現が見られるのが特徴である。 それは、例えば最上階窓の上部が半円形になっている表現の中に、表現主義の影響を見ることができるなどである。 現在は数校が残るだけになったが、都会の均一で無味乾燥な学校建築の中にあって、これらの建築は異彩を放ちながらも、穏やかに環境に溶け込み、人々に親しまれ愛され、今も大事に使い続けらている。 函館の弥生小学校も昭和13年に、昭和9年の大火の復興事業の1つとして建設された。 不思議なもので、東京と函館、その場所が変わろうと、人間が廃墟という無の状態から立ち上がろうとする時、そして、自己のためにではなく、他人のために全霊をかけ取り組もうとする時、無駄なものがはぎ取られ、そのものが必要としている本質と真髄だけが残された、見事なまでに充足した建築が生みだされて行った。 さて、私はこの解体・新築問題の根底には、子供の学習環境の改善という問題の存在があると思う。 この学習環境の整備を掲げた教育委員会と、それを疑うことなく信じた一部の父兄が、新しく敷かれたレールの上に、新築という列車を置いてしまったという構図がそこにあると思う。 そして、教育委員会は、この学習環境の整備を大儀として、この列車を発車させてしまった。現今は、一度発車していまったら、後ろに戻ろうとしない役所の体質が、善悪は別にして、団結してこの問題に当たろうとする体制を整えつつある状態と言えよう。 しかし、本当にこの学校が子供の学習環境として、改善をしなければならない程に劣悪な のだろうか。 もし、そうではないことを証明できれば、解体・新築の大儀は崩れ、この列車を止めることが可能ではないだろうか。 この温故知新は、何回かに分けて、今まで以上に丁寧に書き進もうと思う。 じっくり読んでいただきたい。 [注記 : 上の2枚の建築写真は1926年(大正15)に、復興小学校として建てられた九段小学校の現在の姿である。RC造地上3階/4,009㎡ 内部は弥生小学校と同じように温もりが漂い、今も大事に使われている] <first photo by WirelessMonkey>
by yayoizaka
| 2008-06-06 13:36
| 19. 四方雑話
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