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<Category19-037 / 2008.6.16> 今回のテーマは、復興小学校や弥生小学校のような 「古い本物の建築」 の中にある 「空気」 について書いてみようと思う。 私はこの捉えようのない 「空気」 を、時には歴史や伝統という言葉で言い表そうとしたり、時には文化と言ってみたり、また、時には子供たちの情操を......などと言ったり、最近では 「+α 」 をその中にいるだけで浴びているようだとも表現してきた。 これらはみんな、私なりに 「古い本物の建築」 の中にある 「空気」 を表現しようとしたものなのだが、言葉にしてしまうとどれもありきたりで、いつも定まらない思いで相応しい言葉を探していた。 ある朝、いつもはだだ聞き流しているだけのラジオからの、一つの言葉が耳に止まった。 それは、詩人の荒川洋治さんが「時の記念日」ということにかけて、「建物と歳月」 について話をされていた中にあった。 荒川さんは、中谷宇吉郎集の中の 「実験室の記憶」 というエッセイについて話をされていた。 その本によると、実験室には卑近な実験技術の知識がいつの間にか蓄積して、室内の机とかこまごました機械とかいうものにまで、いつの間にか滲みこんでいる、それを実験室に残る記憶と表現されていた。 そして、実験室に入ってみると、その実験室が生きているか死んでいるかは、直ぐ分かり、それは掃除が行き届いているか否かとか、設備が完備しているかいないかということとは別問題であるとした上で、実験室の生命を感知し得る神経を育てることは、研究者の一つのしつけとして、大切だと結ばれていた。 私の中で定まらなかった 「古い本物の建築」 の中にある 「空気」 が、見事に 「記憶」 という一語で語り尽くされていた。 古いものにあり新しいものにはない、この 「建築の記憶」 こそ、この温故知新の中で私が最も伝えたいことであった。 「実験室の記憶」 を学校に置き換えてみると、児童・先生・無数の来訪者による数え切れない日常的な活動の蓄積された時間と、積み重ねられた成果が歴史と文化と伝統になり、それが 「学校の記憶」 となって滲みこんでいると言えるだろう。 そして学校の生命を感知し得る神経を育てることは、児童のしつけとして大切で、そこに無限の計り知れない教育の場と機会があるということになるだろう。 写真は上から順に、復興小学校内の理科室、図工室、階段、講堂への階段、そして放送局である。 これらの写真はほんの一部に過ぎないが、建築の記憶として選んでみた。 次回予定している 「復興小学校の耐震性」 に続いて、温故知新の最後として教育環境について考え整理してみたいと思っている。 その前に、この 「建築の記憶」 を敢えて独立したコラムとして、古い建物の中にある、失うと二度と再生させることができない価値をどうしても伝えたいと思った。 このかけがえのない価値を認識し、老朽化を罪悪でもあるかのように片付けてしまうのではなく、残すべき稀有な財産であり伝統であることを是非とも分かってもらいたかった。 <次回も、温故知新をつづけます>
by yayoizaka
| 2008-06-16 07:38
| 19. 四方雑話
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