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<Category20-020 / 2008.9.23> 以前弥生小学校は重要文化財に匹敵する価値があると自分の気持ちを書いたことがある。 しかし、重要文化財に指定されると様々な制約が課せられ、これからも小学校として生きた歴史と伝統を連綿と育み続け、それらを未来にそのまま継承していくことが困難になる。 そこでこの建物を登録有形文化財として申請したいという気持ちを秘めてこの建物の完全保存を訴えていることを告げた。 今、国宝または重要文化財の登録数は、全国でそれぞれ214件(262棟)、2.338件(4.235棟)、登録有形文化財(建造物)の登録数は7,179件でそのうち学校は229件に及ぶ。 この弥生小学校の歴史的価値やその他数多の付随する価値はこれまでに繰り返し述べてきたのでここでは書かないが、以前に7回にわたり掲載した子どもたちの 「 真の教育環境を考える 」 の中で東京の復興小学校を取り上げた。 その時に取り上げなかった復興小学校に渋谷区立広尾小学校があり、この学校が登録有形文化財として登録されている。 勿論東京都歴史的建造物に認定されていることは言うまでもない。 渋谷区立広尾小学校の概要は以下の通りである。 [設立年] 大正5年 [完成年] 昭和7年 (1932年) [敷地面積] 4,245㎡ [保有面積] 4,321㎡ [学級数] 7学級 (平成20.5.1) [児童数] 193名 (平成20.5.1) この渋谷区立広尾小学校について、第10代校長・松本武氏は次のように書かれている。 現在渋谷区となっているこの一帯は、江戸時代はのどかな風景であった。 「名所江戸百景」 の一つとして「広尾の川」を広重が描いている。 明治・大正と時を経て東京都豊多摩郡渋谷町となった頃は、地域の人口があふれ、渋谷町は人口急増地帯となり、大正4年には広尾小を含め3校が建設され、町の財政は火の車であった。 (中略) 第3代の赤崎校長は、鹿児島師範附属小で県下に有名であったが、大正10年12月から昭和20年までの長きにわたって広尾小の経営にあたった。 当時の卒業生の語るところによると、正規の授業のあと、児童全員が教室・廊下・階段・講堂・校庭を1時間半位毎日掃除をやる。 いったん家へ夕食に帰り、また学校に来て夜9時、遅いときは11時頃まで補習授業をした。 「おそうじ学校」 「ちょうちん学校」 と広尾小のことを世間で言ったそうである。 校舎の北側に道路一つ隔てて、旧沼田藩主・土岐子爵の邸があった。 南面に校舎が建つのに、土岐子爵は率先して付近の住民とともに校舎建設に協力・援助を惜しまなかった。 その後何かと広尾小のために尽くされた。 このため、昭和50年代初頭まで、広尾小の公式行事には、渋谷区長より上座に土岐氏の席が設けられていた。 昭和50年頃になっても、赤崎校長のとなえた 「広尾魂」 は脈々と生き続け、知力・体力・気力・協力におきかえ、教育充実のためのモットーとする気概が学校に残っていた。 この頃の学校規模は、22学級、心障学級2,児童766人であった。 (後略) この第10代校長・松本武氏の書かれたことを、そのまま現在の弥生小学校の問題に重ねてみると、共通しているのは稀有な建築であるということだけで、それを取り巻く人間の質の違いが良く読み取れる。 (言うまでもないが、校長、教頭、教職員以外を指している) それぞれの学校には、かけがえのないそれぞれの歴史がある。 それらは決して偶然に生まれたものではなく、そこには自己を犠牲にしてでも子どもたちのために取り組んだ健全な大人が存在していたということである。 そしてその誠実な取り組みが学校の歴史として刻まれ、その伝聞が継承され伝統となり、それらが建物の記憶となって染み込み熟成されていったのである。 今美しく建物があるのは、計り知れない人々の英知と努力があったればこそであり、気品ある記憶をその空気の中に宿す建物には、共通してこれら先人の汗の跡が刻まれているのである。 東京の復興小学校を見ていると、歴史的建造物に指定されたことで保存に対する住民の意識も高まったことが共通している。 函館のように、自ら指定した景観形成指定建築物を解除してまで取り壊そうとする組織などその存在の必要性すらないと考えるのは私だけだろうか。 何年そして幾度ともなく懲りずに繰り返されるこの国の官僚と国会議員の犯罪的行為、そしてその利権に群がる癒着業者、これらの組み合わせがどのように変わろうと共通しているのは、前者たちが責任を回避できる仕組みを常に更新しその中に身を置いていることである。 それは過誤だと分かっていながら前に進むしか能がない彼らの性から生まれた悪知恵であり、それを恥とも思わず出来るのは責任を回避する伝統的術が叩き込まれているからに他ならないということである。 函館然りである。 市民の総意で申請すれば、弥生小学校は必ず登録有形文化財に選定されると思う......。 ■ 登録有形文化財(建造物):学校 229件 以下は小学校関連のみ列記(奉安殿8例は割愛) 星槎大学(旧頼城小学校)校舎 星槎大学(旧頼城小学校)体育館 旧月立小学校校舎 旧男鹿市立加茂青砂小学校屋内体操場 旧男鹿市立加茂青砂小学校校舎 山形市立第一小学校校舎 山形市立第一小学校門柱及び柵 旧樺穂小学校校舎 武道館(旧水海道小学校雨天体操場兼講堂) 真岡市久保講堂(旧真岡小学校久保講堂) 旧東村花輪小学校校舎 旧東村花輪小学校門柱 川場村歴史民俗資料館(旧川場尋常高等小学校校舎) 渋谷区立広尾小学校 飯田市立追手町小学校校舎 飯田市立追手町小学校講堂 刈谷市郷土資料館(旧亀城小学校本館) 鈴鹿峠自然の家(旧坂下尋常高等小学校) 旧豊郷尋常高等小学校本館 湖東町歴史民俗資料館(旧西押立国民学校校舎) 長浜旧開知学校 錬成館(旧西押立国民学校講堂) 旧京都市立有済小学校太鼓望楼 京都芸術センター正門及び塀(旧京都市立明倫小学校正門及び塀) 京都芸術センター西館(旧京都市立明倫小学校本館) 京都芸術センター南館(旧京都市立明倫小学校南校舎) 京都芸術センター北館(旧京都市立明倫小学校北校舎) 京都国際マンガミュージアム旧講堂棟(旧京都市立龍池小学校講堂) 京都国際マンガミュージアム旧正門及び塀(旧京都市立龍池小学校正門及び塀) 京都国際マンガミュージアム旧北校舎棟(旧京都市立龍池小学校北校舎) 京都国際マンガミュージアム旧本館棟(旧京都市立龍池小学校本館) 京都市学校歴史博物館(旧京都市立開智小学校)正門 京都市学校歴史博物館(旧京都市立開智小学校)石塀 京都市学校歴史博物館玄関(旧成徳小学校玄関車寄) 福知山市立惇明小学校本館 河内長野市立武道館(旧長野町尋常高等小学校講堂) 旧岸和田村尋常小学校校舎 富田林市立川西小学校教育歴史資料室(旧川西尋常小学校) 尼崎市役所開明庁舎(旧開明尋常小学校校舎) 湯浅小学校講堂 智頭町立山形小学校校舎 旧田所小学校講堂 赤磐市吉井郷土資料館(旧仁堀尋常高等小学校本館) 小野公民館(旧小野尋常小学校校舎) 明倫小学校本館
by yayoizaka
| 2008-09-23 09:18
| 20. 不条理
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