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<Category19-050 / 2009.1.29> 年明けの7日に一つのブログが市営谷地頭温泉売却問題を取り上げた。 私もこの問題を取り上げ、これまで6回にわたり以下の小文を書いてきた。 今回はこの小文の後に本題に入るが、よろしければ最初から通しで読んで頂ければ幸いである。 癒しの湯 このブログは 「函館・弥生小学校の保存を考える」 と銘打ってはいるが、決して特定建物だけを救いたいと書いている訳ではない。 ある日突然慣れ親しんだ風景の中から建物が消えていく、それは周りの環境や人の営み、そして人々が連綿と育んだ絆までをも蝕み破壊し崩壊させる。 この問題を 「考える」 ことを通して、壊される運命にある多くの建物を救う、否、それ以上に 「我々には今あるがまま次代に受け渡す責任がある」 ことを自覚し、そのための 「土づくり」 を今しておかなければとの思いが私を突き動かしている。 その為には歴史風土に対する認識を新たにし、今がある礎を知った上で、柔軟に対応できる思考回路を市民自身の中に構築することが命題だと思う。 私は銀座通り以西、つまり立待岬から穴澗海岸までを頭の中で逍遥しながら書いている。 そんな中、市営谷地頭温泉売却の話を知った。 スーパー銭湯ではなく、あれがいい、なぜなら、そこには日常がある。 街に根付いた湯 市営谷地頭温泉について書く契機となった記事を改めて取り上げる。 その記事は赤字が嵩み民間売却の方針が突然発表されたことを受けて、次のような論旨で書かれている。 先ず、採算性向上にはリニューアルが必要だが、民業圧迫が懸念され難しいという行政側の見解を挙げ、次に圧迫する相手であるスーパー銭湯が公衆浴場法等の規制を逆手にとって、公的支援を享受する仕組みに言及した上で、現行法制度の隙間を突いた優遇によってスーパー銭湯の経営は成り立っているとの見解を示している。 そして、法制度と現実がミスマッチを起こしている中で、最も弱い立場にあるのが実は公営浴場であったと分析し、硬直化した行政運営の責任へも触れた上で、街にしっかり根付いた存在の市営谷地頭温泉の将来を、(目先の赤字だけで) 軽々しく論じてはならないと断言している。 また同時に指定管理者の好例を挙げて、経営改善案の提示を求めている。 私も全く同感である。 忘れられた、教育と公益 存在しているものはそのままであり続けるか、ある日を境にその姿を消すか、その運命はどちらかである。 しかし、後者はやがて原風景の喪失と荒廃を誘い、風土が培った固有の伝統や文化をも崩壊に導く。 私はそのことを弥生小問題を通して伝え考えることに主眼を置いてきた。 谷地頭温泉売却問題も行政の無責任と市民の無関心 (諦め) という関係においては通底するものがある。 この諦めが行政の無策に起因する責任を曖昧模糊とし、無責任な事業放棄へと安易に回避させ、反省も改善もないまま同じことを繰り返す体質だけが温存される。 しかし、これを黙認し傲慢なまでに助長させたのは、他でもない、諦め許してきた市民に他ならない。 市教委による弥生小解体は正当な道理すらない 「教育を忘れ隠れ蓑にした過誤」 であり、水道局によるこの売却問題は財政難が背景にあるとはいえ、赤字事業の安易な切り捨てという 「公益を忘れた過誤」 に他ならない。 日常の函館がある 元町配水場前を南に進むと、護国神社坂あたりからゆっくりとその道は海に向かって高さを下げていく。 そして少し山側に折れたあたりにある函館公園の裏の入口から入り、旧函館博物館一号と二号を右手に見ながら博物館と旧図書館の間の坂を谷地頭へと下る。 これが私が好きな散策を兼ねた市営谷地頭温泉への入湯ルートだ。 帰りは谷地頭電停から市電に乗るか、往きと同じく函館公園を抜けるのだが、この時は公園内の小さな動物園で白クジャクを観察し、小さな遊園地で楽しそうに遊ぶ子どもたちを眺めながら歩く。 市営谷地頭温泉は午前6時からの営業ということもあって、営業開始を待ち侘びて多くの市民が訪れる。 歩いて来る人、車で来る人、市電で来る人、また、近くのペンションでは泊り客に入浴券のサービスをしたりと、この市営温泉は家庭風呂の延長として、周辺住民、函館市民、観光客みんなに根付いていて、飾らない日常の函館に触れることのできる癒しの湯である。 市民のための公衆浴場経営 明治時代から既に温泉地として開発されていた谷地頭で、昭和24年に市が最初に行った温泉試掘は失敗に終わる。 当時谷地頭では池の端温泉と勝田温泉が営業を行なっていたが、源泉温度が低く泉質も悪く早晩誰かが新しい温泉を掘削しないではおかない状況の中、昭和26年に市は住民から土地の寄付を受けて試掘に成功する。 「この温泉を市民に利用してもらうためにはどうするのが最善か、民間に負けずに市営でやれるものは何か」 を考えた末に行きついたのが、公衆浴場の経営だった。 そして、昭和28年2月16日、市営公衆浴場は開業する。 当初は順調な経営が続き、利用者の4割が地元住民、残りは市内各地から電車でやって来たが、昭和36年には経営難の様相を呈してくる。 その訳は利用者の落ち込みと低料金の維持による人件費の増大が挙げられ、赤字が必至の中で民間への移管という声が上がる。 現在と似た状況に当時の市はどう対応しただろうか。 市民の支持を得た市営温泉 市営温泉が順調な経営状況にあった昭和34年頃の民間側の経営に目を移すと、当初から市営浴場の開設による経営の圧迫が懸念される中、池の端温泉と勝田温泉へは分湯というかたちで補償をしていたが、中には廃業に追い込まれる銭湯もあったと、当時の道新記事は語る。 同じく昭和37年の道新記事には 「年間約六千人の遺族、北洋船員、お年寄りなどに無料」 という公共施設ならではのサービスを惜しむ声もあり、慎重な検討が求められたとあり、この問題は市議会に諮られるが、民間への払い下げは不採択となり市営温泉は生き延びる。 その後も施設の老朽化に対応して改装・新装が行なわれ、「市民のニーズに応える努力」 が続けられる。 現在の浴場は1998年リニューアル・オープンしたもので、毎朝温泉に入って一日が始まる市民も少なくない中、「低料金で温泉を」 という方針が変らない限り、市民の支持を受け続けるだろうと、市史は結んでいる。 まとめ - 市営谷地頭温泉売却問題で見えてくるもの ある日突然慣れ親しんだ風景の中から建物が消えていく、それは周りの環境や人の営み、そして人々が連綿と育んだ絆までをも蝕み破壊し崩壊させ、そして、それはやがて原風景の喪失と荒廃を誘い、風土が培った固有の伝統や文化をも崩壊に導く、と上に書いた。 西部地区における弥生小学校は、函館の栄枯盛衰の記憶を刻む歴史の語部であり、今もって再び起こらないとは決して言えない大火に対する防災拠点でもある。 それは教育の場としてだけではなく、この公共施設が本当の意味での防災拠点として地域の特性を十二分に理解した上で計画されたことが、周辺の地勢と環境に見事なまでに融合し、住民の生活の中に溶け込んだ現在の姿を醸成するに至った主因であると思う。 一方の谷地頭地区は、明治11年の大火後の政府事業として、湿地帯であったこの地の埋立による本格的な市街地整備が始まるが、同12年に開園した我が国におけるパートナーシップ型公園の走りである函館公園と呼応するように、現在の環境形成に至った歴史がある。 現在、この公園の中には2棟の旧博物館と旧市立図書館、そして現役の市立博物館が建っており、小さな動物園と小さな遊園地があることは周知の通りである。 この旧市立図書館と弥生小学校を設計した人物はこれまでに何度も書いてきたが、小南武一という市役所建築課技師である。 因みにこの両者の距離は2km足らずだが、そのほぼ中間あたりの護国神社坂に面した市立公会堂も同氏の設計によるものである。 これらについては改めて取り上げるつもりなので、今回は割愛する。 弥生小学校の開校が昭和13年、市営谷地頭温泉の開業が昭和28年、今と違いこれらが生まれた当時は、市役所技師らも公僕としての自覚を持ち、使命感と責任感に燃え志と良心を持って仕事に携わっていたと思う。 6回にわたり書いた上の小文を見ても 「市民に利用してもらうためにはどうするのが最善か」 「民間に負けずに市営でやれるものは何か」 「市民のニーズに応える努力」 等々、今では化石のごとき言葉が行政側から発せられている。 「市民のために何をしなければならないか」 を公僕として考え取り組んでいた時代がかつては確かにあった、と市史を読んで思った。 私は行政が市民のためにという目線で取り組んだ意味において、弥生小学校も市営谷地頭温泉も同じと考えている。 市営谷地頭温泉が民間に売却されスーパー銭湯に変ることは、開業当初の労苦とその後の経営難を乗り切った、その志までも売り捌くという意味で、弥生小学校の解体に等しい行為と思えるのである。 市営谷地頭温泉は昭和36年には経営難の様相を呈したことは既に書いた。 その理由として利用者の落ち込みと、低料金を維持した状態で人件費が嵩んできたことを挙げている。 また、同時期の函館市電の経営状況を見てみると、同じく昭和36年から赤字となっており、その理由としてベースアップによる人件費が嵩んできたことと、料金値上げを繰り返すこととマイカー普及による市電離れを挙げている。 現在、市電は2系統が残っていて運行されているが、湯の川を始発として十字街で函館ドック方面と谷地頭方面に行き先が別かれる。 かつて繁栄していた時期と異なり、この2つの終点方面が共に寂れているのである。 現在、谷地頭温泉が市営で営業されていることで、市電の一方は谷地頭まで運行しているが、安易な温泉事業の民営化は将来の谷地頭方面への市電運行廃止に繫がりかねないことも想定しておかなければならないと考える。 このように、一つの建物の解体や一つの温泉の売却に過ぎないと考えるのは危険で、ビジョンと責任感を持たない行政をして、それらの短慮な行為が地域崩壊へと静かに向かわせることを知っておかなければならない。 このことが 「いかなる問題が起きても、柔軟に対応できる思考回路を市民自身の中に構築することが命題」 と、私が書く所以である。 行政によって西部地区から恣意的に何かが消されていく、しかしそれは、やがて環境や営みや絆やコミュニティや伝統や文化を崩壊させる兆しであり、始まりであること知っておかなければならない。 谷地頭温泉が開業した昭和28年に小南武一は助役となる。 この谷地頭温泉の設計にも小南は建築課長として係わったと私は確信している。 現在の谷地頭温泉は1998年の完成で、まだ11年しか経たない。 赤字だから売却するなどふざけたことを言うなと言いたい、何が民業圧迫かと言いたい、市営谷地頭温泉の開業により廃業に追い込まれた銭湯があったと市史には書かれている。 例え廃業する銭湯が出たとしてもこの事業を全うしたのは、全ての市民に対する公益を優先すべきと考えたからだと私は思う。 そこには先を見据えたビジョンと責任を負うことを恐れない自信が見て取れる。 それに引き換え今の水道局幹部が言う民業圧迫とは、スーパー銭湯を経営する既得権者の圧力に屈した偏重でしかない。 市営谷地頭温泉は朝の6時から営業が始まる。 市営谷地頭温泉があるお陰で、現在谷地頭には銭湯はない。 そんな谷地頭で、この施設がスーパー銭湯に取って変って良いわけがない。 この問題について書く契機となったブログは最後に指定管理者に触れている。 入札により市営谷地頭温泉も指定管理者による運営が行われている。 だが、このような行政が指揮を執る下では、指定管理者が市民のためのサービスと経営改善を行おうと努力しても出来るものではないと思うのは間違いだろうか。 この温泉は民間への売却ではなく市の施設として、有能な指定管理者の創意工夫が図れるように、行政は後押しだけをすればいい。 建物は耐震補強疑惑で真っ黒だが、運営的には見るべきものがある施設が十字街にはある。 もしこの施設を民間に売却して温泉事業を縮小するなら、それに合わせて市職員もリストラによる削減を冗談抜きで実行すべきだと考える。 また、私は市役所ほど指定管理者制度を取り入れて、リストラを行い無駄をなくしスリムにすべき相応しい組織はないと思うがいかがだろうか。 最後に、市役所職員と、こうゆう問題を目先だけで取り上げる市会議員諸氏、もっと市史を熟読し自分たちが今ある礎を勉強していただきたい......。 写真出典/函館市中央図書館
by yayoizaka
| 2009-01-29 18:00
| 19. 四方雑話
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