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上の写真には戦前に建設された東京市の鉄筋コンクリート造小学校の全てがプロットされている。 東京市の鉄筋コンクリート造小学校の歴史は大正11年に木造校舎に増築された鉄筋コンクリート校舎に始まり、昭和13年に終わりを告げる。 その間に大正12年に発生した関東大震災の復興事業として焼失した木造小学校117校を鉄筋コンクリート造で再建することを復興事業の中でも優先して行うべき急務と位置付け建設されたものを復興小学校と呼び、その数は焼失した数と同じ117校となる。 そして、震災復興事業が完了する昭和5年までに117校全てが完成する。 現在その復興小学校は不完全なものを含めて都内に19校が現存し、その内の10校が中央区に存在している。 その10校の内の3校で建て替え問題が起こり、その筆頭として現存する復興小学校の中で最も古い明石小学校に於いてこの8月にも解体が開始されようとしている。 上の写真には戦前に建設された函館市の鉄筋コンクリート造小学校の全てがプロットされている。 函館市の鉄筋コンクリート造小学校の歴史は市の不燃化政策の下で昭和2年に始まるが、昭和9年に発生した未曾有の大火により既に建設されていた2校が罹災し、それらの再建を含めた鉄筋コンクリート造小学校の建設が函館大火復興事業の中で優先して行なわれる。 そしてその数は5校にのぼり、その5校の完成を待ってその集大成とも言える弥生小学校が函館の誇る歴史地区に昭和13年に完成する。 奇しくもこの年は東京の鉄筋コンクリート造小学校の建設が終わりを迎えた年で、函館の弥生小学校はそれまでに全国で建設された鉄筋コンクリート造小学校の正に集大成と言っても決して過言ではない秀逸な建築だった。 筆者が弥生小学校が東京の復興小学校と比較しても抜きん出ていると思うのは、函館特有の坂のある敷地の高低さを巧みに利用した建築計画にあり、防災拠点としての公共建築のあり方や、小学校と地域社会及び環境との共生のあり方など、先駆的で見事と言う以外に言葉がない程周到に計画されていた。 だが、その弥生小学校も市民の保存活動を無視するかのように解体が進み、今や見る影もない状態にある。
by yayoizaka
| 2010-08-08 09:02
| 23.弥生小学校を考える
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