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<Category19-009 / 2008.4.29> <前回のつづき> このやり方ではピラミッド校舎は残せない、と書いてしまったためにそのことの説明から書き始めなければならなくなったが、今、如何に短くこのことを書き終えるかをひたすら苦慮している。 私はこのブログのエピローグのなかで「発起人として有名人を集めてもいない。趣意書で高らかに保存の意義を訴えることもしない。まして、保存を訴えるとか、保存を願うとか、保存すべきとか、そんな、曖昧で、感傷的で、感情的で、攻撃的な表現も使わない。」と書いた。 これらの言葉が私の気持ちの全てを表していると言っても過言ではないが、要はこれらの言葉の一つ一つが、ケースごとに異なる保存の意義と概念を掲げての保存派側から発せられる言葉とするなら、この言葉を向ける相手側の概念がまた存在するわけで、この両者が永遠に交差することのない数学的ねじれの位置にある2直線のように、同じ平面内にないことを気付き方向修正を図らなければ、両者のやり取りは決して相まみえることなく続く不毛のものとなるのである。 このピラミッド校舎を例に取るなら、設計者が前川國男、設計思想と教育理念の融合一致、この建築とその背後にある時代をも超越した陳腐化することのない継承すべき新しい精神、建築史上の歴史的価値、建築家・前川國男研究上の価値(今の前川國男研究者がその任に当たるに相応しいか否かは私には分からないが、前川國男が戦後日本に根付かせ育て築いていった精神は、前川國男の残した建築を通して我々が受け継ぐ生きた財産であり、永遠に保存する価値を持つと私は思っている)、これらどれを取ってもみな正当な保存の理由であり保存の概念であると思う。 しかしそうでない側は、これら全てが必要悪であり邪魔なのだ。そうでない側からは保存派が掲げる文言と同じ数だけ、それらを鏡に映して自動的に像を結ぶ言葉の頭に“反”のついた同じ文言が返されるのである。正しいとか正しくないとかの問題ではないのだ。だから、エピローグに書いたスローガンも、お情けにすがる訴えも、マスコミを介して世論に訴えるのも、すべて糠に釘なのである。 ではなぜそうなるのか。それは、保存を拒む側が大学経営者だからである。 大学は今や先端企業であり、そこを支配するのは経済優先と市場原理に他ならない。 かつては教育理念が先にあり、それが各大学の個性であり魅力でもあったが、今は如何に学生を増やして儲けるかが全てに優先されるのである。おそらくここに至った原因は、大学経営者だけの問題ではなく、節操なく無責任に揺れ動く文部行政、補助金による国の遠隔支配、官僚の天下り、銀行の経営介入などなど、そうしなければ生き残れない、出口など選択の余地さえないものに、既に寄ってたかってしてしまっていることにあると思われる。 <次回につづく>
by yayoizaka
| 2008-04-29 07:09
| 19. 四方雑話
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